カザフスタンの基礎情報

カザフスタンの社会経済概要です。カザフ族は騎馬民族、平原の民です。そして、石油・天然ガス他天然資源が豊富なくにでもあります。

概要

日本の7倍の面積である272.49万平方キロ(旧ソ連ではロシアに次ぐ)、人口560万人(2010年)、首都は1997年にアルマトイから遷都したアスタナ(旧アクモラ)である。カスピ沿岸で石油天然ガスを産出、その他、天然資源が豊富な国である。

略史

14世紀頃まで 現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着
15世紀後半 遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立
18世紀初 ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化
18世紀初 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂
1730年代 カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従
18世紀中頃 清朝にも朝貢
1820年代まで ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める
1837年〜1847年 ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)
1850年〜1860年代 カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)
1920年 ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)
1924年 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更
1925年 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更
1929年 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転
1936年 ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1986年12月1日 アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)
1990年4月24日 ナザルバエフ大統領就任
1990年10月25日 共和国主権宣言
1991月12月1日 ナザルバエフ大統領再選
1991年12月10日 国名を「カザフスタン共和国」に変更
1991年12月16日 共和国独立宣言
1997年12月10日 首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転
1999年1月10日 ナザルバエフ大統領再選
2005年12月 ナザルバエフ大統領再選
2011年4月 ナザルバエフ大統領再選

政治

共和制国家で、元首はヌルスルタン・ナザルバエフ大統領 (2011年4月前倒し選挙により四選。任期は5年。)、独立以来の政権である。

議会は二院制(上院:セナート(定員47名、任期6年(3年毎に半数改選))、下院:マジリス(定員107名、任期5年))。

内政

(1)ソ連邦カザフスタン共和国共産党第一書記・大統領からそのままカザフスタン共和国大統領に就任したナザルバエフ大統領が、一貫して強力なリーダーシップを発揮して政治・経済改革をすすめ政権を運営しており、エネルギー資源の輸出による収益などを背景に、政情は安定している。同大統領は2005年12月の大統領選挙でも圧倒的支持率(得票率91%:カザフスタン中央選管発表)で再選を果たした。

(2)2007年5月の憲法改正により議会の権限が強化されるとともに、初代大統領に限り三選禁止の適用が除外され、ナザルバエフ政権の長期化の道が開かれた。2007年8月の議会下院選挙では、与党「ヌル・オタン」が全議席を独占。2008年10月4日の上院選挙で、改選議席すべてを与党「ヌル・オタン」が占めた。

外交

(1)国境を接し、政治・経済面で密接な関係を有するロシアとの良好な関係維持を重視。ロシアを中心とするCIS関連の国際機関(ユーラシア経済共同体、集団安全保障条約機構など)にはあまねく参加している。

(2)中国との関係も重視しており、上海協力機構(SCO)に創立時(2001年)より加盟。

(3)米国、EU、日本とも良好な関係を維持している。

(4)アジア信頼醸成措置会議(CICA)を主導するなど独自の国際的イニシャティブも発揮している。2010年にはOSCE(欧州安全保障協力機構)の議長国をつとめた。


ロシア軍は国内数ヶ所(バイコヌール、サルイシャガン、エンバ)に少数が駐留している(カザフスタンに配備されていた戦略核兵器はロシアに移送済み)。

我が国との二国間関係

日本の対カザフスタン援助実績

(1)有償資金協力 約887.88億円 (2009年度までの累計)

(2)技術協力 約119.76億円 (2009年度までの累計)

(3)無償資金協力 約60.51億円 (2009年度までの累計)

政治関係

(1)国家承認日 1991年12月28日

(2)外交関係開設日 1992年1月26日

(3)日本大使館開館 1993年1月20日

2001年1月1日 アスタナ出張駐在官事務所開設

2005年1月1日 大使館をアルマティからアスタナに移転するとともに、アルマティに出張駐在官事務所を開設した。(在日カザフスタン大使館は96年2月22日に開館)

経済関係

(1)日本の対カザフスタン貿易(2010年:財務省貿易統計)

貿易額: 輸出 193億円、 輸入 527億円
主要品目
輸出 自動車、鋼管、建設用・鉱山用機械

輸入 合金鉄

(2)日本からの直接投資(2010年:カザフスタン中央銀行)

6億ドル、 カスピ海のカシャガン油田開発には日本の国際石油開発(INPEX)も参加している。

在留邦人数

118人(2009年10月)
在日当該国人数

208人(2011年8月現在:法務省)

二国間条約・取極

1994年4月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認。
1995年3月 カザフスタン政府が日本国政府に対して日ソ租税条約の適用を終了させる意思を通告。(これにより同条約は翌96年1月1日以後に開始する各課税年度の所得について失効。)
2004年8月 日・カザフスタン技術協力協定署名(2005年6月発効)。
2008年12月 日・カザフスタン租税条約署名。
2009年12月 同条約 発効
2010年3月 日・カザフスタン原子力協定署名。

経済

経済概要

(1)石油、天然ガスなどのエネルギー資源、鉱物資源に恵まれた資源大国。石油埋蔵量は398億バレル(世界の3.2%)、天然ガス埋蔵量1.82兆立方メートル(世界の1.0%)(2009年BP統計)。また、レアメタルを含め非鉄金属も多種豊富である(ウラン、クロムの埋蔵量は世界2位、亜鉛は世界5位)。

(2)旧ソ連崩壊後の苦しい経済状況の中、民営化を中心とする経済改革を推進、米国企業の参加するテンギス油田開発の始動などにより、1996年に独立以来初めてプラス成長を記録した。1998年には農業および重工業の低迷及びロシアの金融危機によりいったんはマイナス成長に転じた(前年比マイナス2.5%)ものの、1999年以降は再びプラス成長に転じ、世界的な石油価格の高騰を追い風に、2000年以降年平均10%という好調な経済成長を維持してきた。但し、2007年以降は金融危機による世界的な景気の減退とともに経済成長率は鈍化。

(3)カスピ海周辺では欧米石油メジャーや日系企業が参画し、大規模な油田開発、探鉱を行っている。原油の輸送ルートについては、従来のロシア経由に加え、コーカサス地域経由での欧州向けの輸出も開始されている。最近では、中国向けのパイプラインも整備された。

(4)2010年までに競争力において世界の上位50カ国入りを目指すという目標を設定し、エネルギー・鉱物・資源開発への外資導入を軸に発展を続けている。しかし、産業構造が石油ガス分野に大きく偏っており、長期的安定成長のためにはバランスのとれた産業・経済発展が重要課題であるとの指摘あり。

経済指標

.主要産業;鉱業、農業、冶金・金属加工

GDP:1,384億ドル(2010年:IMF)

一人当たりGDP:8,883.0ドル(2010年:IMF)

経済(実質GDP)成長率:7.0%(2010年:IMF)

物価上昇率:7.4%(2010年:IMF)

失業率:6.6%(2009年:CIA)

貿易額(2009年見込み:WTO):

(1)輸出 470億ドル

(2)輸入 383億ドル

主要貿易品目(カザフスタン共和国財務省関税委員会)

(1)輸出 石油、石油製品、無機化学品、貴金属、有機・無機化合物

(2)輸入 機械設備、食料品、鉄鋼、鋳鉄製管、中空形材、石油、石油製品、自動車

主要貿易相手国(カザフスタン共和国財務省関税委員会)

(1)輸出 イタリア、中国、ロシア、フランス、オランダ

(2)輸入 ロシア、中国、ウクライナ、ドイツ、イタリア

通貨:テンゲ(Tenge:1993年11月15日導入)

為替レート:1ドル=148.08テンゲ(2011年10月現在:カザフスタン国立銀行)

なお同国のテンゲ変動相場制への移行は1999年4月5日。

社会

民族

カザフ系(63.1%)、ロシア系(23.7%)、ウズベク系(2.9%)、ウクライナ系(2.1%)、ウイグル系(1.4%)、タタール系(1.3%)、ドイツ系(1.1%)、その他(4.5%)(国家統計庁国勢調査)

言語

カザフ語が国語。(ロシア語は公用語)

宗教

イスラム教(70.2%)、ロシア正教(26.2%)(国家統計庁国勢調査)

カザフスタン・リンク

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