キルギスタンの社会経済概況

キルギスタンの社会経済概況です、外務省基礎情報を参考にしています。

概要

キルギスタンは日本の約半分の19.85万平方キロ、人口560万人(国連人口基金2010年)、

略史

17〜18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行
18世紀後半〜19世紀前半 コーカンド・ハン国による支配
1855年〜1876年 ロシア帝国に併合
1918年 ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる
1924年 中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる
1926年2月 キルギス自治ソヴィエト社会主義共和国成立
1936年 ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1990年6月 オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突)
1990年10月 アカーエフ大統領就任
1990年12年12日 「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言
1991年8月31日 共和国独立宣言
1993年5月 国名を「キルギス共和国」に変更
2005年4月 政変によりアカーエフ大統領辞任
2005年7月 バキーエフ大統領当選
2009年7月 バキーエフ大統領再選
2010年4月 政変によりバキーエフ大統領辞任
2010年6月 南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突
2010年6月 国民投票により、新憲法採択
2010年7月3日 オトゥンバエヴァ大統領就任
2010年10月10日 議会選挙実施
2010年12月 連立与党結成・新内閣発足
2011年12月 アタムバエフ大統領就任

政治

.政体は共和制、国家元首は、アルマズベク・アタムバエフ大統領(2011年12月1日就任)。

議会は、一院制(定数120)。2003年の憲法改正により二院制から一院制に移行。2007年10月の新憲法採択により定数を75から90に、2010年7月の新憲法案では120に拡大。

内政

1991年の独立以来、アカーエフ大統領の下、いち早く民主化及び市場経済化を軸とした改革路線を打ち出す。1998年にはWTOの加盟(旧ソ連諸国で初)も果たした。

しかし、資源に乏しい同国の経済は伸び悩み、国民が経済改革の成果を享受できない中で、野党勢力の反政府運動が高まった。

2005年2月末の議会選挙での不正をきっかけとして、野党勢力により南部で開始された反政府運動が首都に及ぶと3月、アカーエフ政権は崩壊。野党勢力指導者のバキーエフ元首相が大統領代行兼首相に選出され、7月の大統領選挙で当選し、8月に就任した。

しかし、バキーエフ政権の下でも、政治・経済改革は遅々として進まず、政情不安定が続いた。

2010年4月、国民の不満が高まり、大規模なデモが発生した。治安当局との衝突(犠牲者86名)の末、バキーエフ大統領は出国し、辞任。オトゥンバエヴァ元外相を議長とする「暫定政府」が発足した。その直後の2010年6月10日、南部オシュにおいて、キルギス系及びウズベク系の住民の間で民族衝突が発生した(死者300名以上、難民・国内避難民約40万人)。

2010年6月27日、キルギス新憲法案の是非など(オトゥンバエヴァ移行期大統領の信任を含む)を問う国民投票が実施された(投票率70%以上、賛成票90%以上)。オトゥンバエヴァ大統領は同年7月3日に就任(任期2011年末)。

2010年10月10日議会選挙を実施。同年12月、社会民主党、共和国党及び「アタ・ジュルト党」による連立政権が成立し、アタムバエフ社会民主党党首を首相とする新内閣が発足。

2011年10月、大統領選挙を実施。アタムバエフ大統領が当選した(12月1日就任)。

外交

(1)ロシアとの良好な関係維持を重視(特に安全保障面、貿易等経済面で、密接な関係を有する)しつつ、中国や米国といった大国の中でのバランス外交を標榜。

(2)CISの枠内で、1996年3月にロシア、ベラルーシ及びカザフスタンと関税同盟条約及び統合強化条約を締結(両条約には後にタジキスタンが参加)。関税同盟は後にユーラシア経済共同体に発展。上海協力機構(2007年議長国、同年8月ビシュケクにおいて首脳会合開催)、CIS集団安全保障条約機構(2008年議長国、同年10月ビシュケクにおいて首脳会合開催)等にも積極的に参加。

(3)1998年10月、同国はCIS諸国で初のWTO(世界貿易機関)加盟国となった。

 

(3)2001年12月以降、米軍がアフガニスタンにおける対テロ作戦実施のためキルギス・マナス空港に駐留している。2009年2月、米軍に8月18日までの駐留期限終了を通告したが、結局、同年6月、米・キルギス両国は、同基地の名称をマナス中継輸送センターとして、実質的な継続使用の協定に合意。2010年4月の政変後、キルギス新政権と米国は、同センターの使用契約を2011年7月13日まで1年間自動延長。2010年12月、アタムバエフ首相が、議会演説においてマナス中継輸送センターの合意を今後4年間順守すると言及。

(4)2003年10月以降、集団安全保障条約機構(CSTO)の枠内で、露空軍が駐留している(カント基地)。

経済社会

.主要産業は、農業・畜産業(GDPの約3割)、鉱業(金採掘)。

経済概況

(1)産業構造

キルギスの主要産業は農業及び牧畜業(GDPの約3割)、農畜産物を加工する食品加工業、金採掘を中心とする鉱業である。エネルギー資源には恵まれていないが、水資源が豊富。

(2)経済改革及び経済成長率

キルギスは、独立後、1992年の価格自由化を皮切りに、IMFの緊縮財政勧告に従って急進的市場改革路線を推進した。ソ連崩壊の混乱の中で経済不振が続いたが、1996年に独立後初めてGDPがプラスに転じた。その後、1998年ロシア金融危機の影響を受け、財政が逼迫するなど危機もあったが、基本的にはプラス成長が続いている。(但し、2002年及び2005年はクムトール金鉱の金生産の減少の影響もあってマイナス成長)。

2008年10月以降は、世界金融危機の直接的な影響は見られないものの、経済的に関係の深いロシア、カザフスタンの景気後退の影響を受け、海外出稼ぎ労働者からの送金も減少し、GDPの成長が鈍化している。

(3)累積債務問題

従来から多額の累積債務を抱えている(推定20億ドル、GDPの約90%)。2002年3月にはパリクラブにおいてリスケが合意されている。その後、国内で重債務貧困国(HIPC)プログラム参加の可否が議論されたが、2007年2月不参加が決定された。

経済指標

GDP:46.15億ドル(2010年:IMF)、.一人当たりGDPは863.65ドル(2010年:IMF推定値)

経済(実質GDP)成長率:-1.4%(2010年:IMF)

物価上昇率:7.8%(2010年:IMF)

失業率:1.8%(2009年:CIA)

総貿易額(2009年:WTO)

(1)輸出 22.92億米ドル

(2)輸入 38.98億米ドル
主要貿易品目(キルギス共和国統計委員会):

(1)輸出 貴金属・真珠・宝石、化学製品、鉱物製品、繊維製品、野菜・果物

(2)輸入 鉱物製品、機械設備、化学製品、運輸関連製品、食料
主要貿易相手国(キルギス共和国統計委員会):

(1)輸出 スイス、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、UAE

(2)輸入 ロシア、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、米国

通貨:ソム(Som:1993年5月10日導入)(CIS統計委員会)

為替レート:1ドル=44.77ソム(2011年10月現在:キルギス国立銀行)

社会

民族

キルギス系(75%)、ウズベク系(14.3%)、ロシア系(7.2%)、ドウンガン系(1.1%)、ウクライナ系(0.3%)、その他ウイグル系、タタール系など(2011年:キルギス統計委データ)

言語

キルギス語が国語。(ロシア語は公用語)

宗教

主としてイスラム教スンニ派(75%)、ロシア正教(20%)、その他(5%)

我が国との二国間関係

政治関係

(1)国家承認日 1991年12月28日

(2)外交関係開設日 1992年1月26日

(3)日本大使館開館 2003年1月27日(駐日キルギス大使館は2004年4月に開館)

1991年12月の独立以降、積極的なODA供与も背景に両国関係は進展。

また1995年5月、日本は市場経済化促進のための人材育成を目的とする「キルギス日本人材開発センター」を首都ビシュケクに開設。

1999年8月、南部バトケン州にて国境を越えて侵入してきた武装勢力による邦人誘拐事件が発生。10月に無事解放。

経済関係

日本の対キルギス貿易(2010年:財務省貿易統計)

輸出 31.5億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)
輸入 0.2億円(アルミニウム及び、同合金)

日本の援助実績

(1)有償資金協力 256.65億円 (2010年度までの累計)

(2)無償資金協力 141.1億円 (2010年度までの累計)

(3)技術協力 103.12億円 (2009年度までの累計)

在留邦人数

145人(2011年6月現在)

在日当該国人数

220人(2011年8月現在:法務省)

二国間条約・取極

1993年4月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認。

2004年10月 日・キルギス技術協力協定署名。

キルギスリンク

dummy box