キルギスの首都ビシケク

真冬のビシケクに滞在した、移動がほとんど車であったことからそれほどビシケクの地理が頭に入っていない。(2007年2月)

雪のタシケントから雪のビシケクへ

当初タジキスタンのドゥシャンベからキルギスのビシュケクへはタジキスタン航空で飛ぶ予定だったが、タジキスタン航空が安全運行上問題があり搭乗するべきでないとの指示が出ていたため、ドゥシャンベから陸路でウズベキスタンのテルメズへ移動し、そこからウズベキスタン国内線でタシケントへ、そして、翌日、タシケントから国際線でキルギスのビシュケクへ移動した。

ビシュケクは小雪、降り立ったときはフライトがやや遅れたこともあり暗くなっていた。着陸したとき窓から外を覗くと巨大な輸送機が雪景色の中に並んでいるのが見えた。よく見ると「US Air Force」と記してある。タラップを降りるとその巨大さが間近になり暗闇の中の黒い機体に威圧感を感じた。

ビシュケクの空港はマナス空港と呼ばれている。円借款で整備されオープンして2-3年らしい。小奇麗なターミナルを移動し、入国審査へ、日本人はビザは入国時に発行されるのでこの地域の中では最も入国が楽だ。荷物を受け取り、外へ出ると迎えの運転手が待っていた。彼に従って雪の降る中を車まで荷物を運んだ。

雪の夜、照明に照らされたマナス空港のターミナルを見ながらビシュケクへ向けて走り出す。雪の降り方が強くなってきたし、道路はアイスバーンだった。ビシケクまでゆっくりと走り郊外のホテルへチェックインした。

写真は翌朝、ホテルからの眺め、4000メートル級の天山山脈の端だ。素晴らしい眺めをベランダから眺めたが、ベランダは凍結しでガチガチだった。

ホテル:AK-KEME hotel (旧Pinara)USD74/night Inc.朝食
エアーキャリアー:ウズベキスタン航空、RJ

雪の中、マナス空港からビシケクの町へ

ビシュケク空港(マナス)からキルギスへの入国したときのこと。

ビシュケク空港へはタシケントからウズベキスタン航空のRJで到着、当日は雪、窓の外には夜間照明に照らされた黒いUS Air Forceと書かれた大きなKC-135 輸送機等が5-6機停泊していた。夜着いたのであたりの様子は不明、空港自体は新しいようだった。米軍はアフガニスタン掃討作戦のための輸送部隊のよう だ。ビシュケクを挟んで反対側のカント空軍基地にはロシア軍が駐留している。

入国審査は至ってスムーズに進んだ。特に税関申告書もなく、パスポートを提示して終了。日本国籍は事前にビザを取得する必要ないので、他の中央アジア諸国より手続きが簡便で時間もさほどかからない。

空港からビシュケクまでは30キロ、ややこの地域の空港としては遠い。今回は、迎えの車が着ていたので楽だったが、ロンリープラネットによると153番のバスが15somで1時間かかるとある。タクシーだと350Som。現在1ドル=38.5Som.
ビシュケクにて

ビシケクからアルマティを往復

ビシュケクからコルダイ国境経由でアルマティスピードガンで武装した警官

マナス国際空港

独立国家の首都の空港として機能していないこと、ICAOの基準を満たしていなかったことから、航空管制及び保安設備の近代化、滑走路のリハビリ、旅客ターミナルの改修を目的として円借款(承諾額 54.54億円、1996年6月LA)が供与され整備された。

事業内容

@土木工事(滑走路・誘導路・エプロンの改良等)
A旅客施設整備(ターミナルビル改修、Baggage Handling System 等特殊設備)
B航空援助施設、照明設備(着陸援助施設、滑走路照明等)
C航空管制設備(無線機器等)
Dユーティリティ(航空用給水機器、衛生設備)
E機器(消防車等)

マナス空港近代化事業-事後評価書

ビシケク郊外の地方からの流入した住民の街

ドルドイ・バザールを視察に行った時のこと、その隣接する原野のような地区に新たに住宅が何棟も建ち上がっていた、良く見ると住宅地は区画され、道路もあり、電気も引き込んであるが、道路は未舗装のまま、雪の後ということもありドロドロ、ベタベタの状態だった。詳しく知ることは出来なかったが通訳の話から、彼らは地方から出てきた人たちで、地方に職がないこと、さらに政治家が職を用意するという約束をしているのだと聞いた。

これは新たな都市問題として位置付けられることだと思うが、住宅はそれぞれの区画に自ら建てたような建設途上が多い、しかし、都市インフラが行き届いているのか、傍から見て心配になるほどの寒さなのだ。

Choldobar国境(西のカザフスタン国境)

ビシュケクから西部の国境であるCholdobar国境まで走ってみた。それほど交通量は多くない。国境税関でインタビューをし施設を見せてもらった。小さな川が国境となっているが、この辺の人はそれほど意識していないようだ。歩いて行き来する人がいた。

キルギスタン側の国境ゲートをくぐり、カザフスタン側の国境までの間、小川の横に小さな小屋があり、何かと尋ねると免税店だという、中を拝見した、確かに免税点だ、同行した人はビシュケク市内で買うより安いので酒とたばこを買っていた。

TsUM

市の中心地にあるデパート、旧ソ連圏の主要都市には必ず設置されていた、独立後、外見は残り、中は携帯電話、電化製品等のショップが詰まっている。上階へ行くと衣類や家庭用品、民芸品のショップとなる。ソ連時代と異なるのはそれらのショップが皆個人商店ということだ。だから、バザールのような賑わいがあるし、その立地から高級ブティックもテナントとして入ることが多い。こういうところを散歩するのはとても刺激があって気に入っている。

Doldoi Bazaarと自動車バザール

ビシュケク郊外にコンテナをそのまま広げたようなバザールがある。トルコ系と中国系の製品を扱う商店がひしめきあっている。

タシケントのバザールで仕入れ先を聞いた時にこのバザールの名が挙がっていた。ここまで仲買人が仕入れにくるということだ。つまり、このバザールはそれだけ多くの商品を取り扱っているのだ。主に衣類が多いが建築資材などもある。

ドルドイ・バザールの手前に中古自動車を売るバザールがあった。アルマティ郊外の自動車バザールほどではないが、ここもかなり大きい。キルギスタンでもカザフスタン同様、右ハンドル車が規制されているので、輸入元はヨーロッパがほとんどだという。以前は、日本車の中古車が多かったと聞いた。

キルギスタン・リンク

dummy box