スターリンの強制移住と高麗人(朝鮮系)

ソビエト沿海州の朝鮮人(高麗人)の強制移住は1937年とされているが、 ウズベキスタンにおける高麗人の移住の歴史は1925年にまで遡り、ソビエトから25人の朝鮮系がやって来たことにはじまる。
彼らは、タシケントの近郊で 一心 という品種の米を作っていた。 しかし、この辺りは沼地で、一心という稲はウズベキスタンの気候に合わなかった。それで1931年、高麗人は ウズベキスタンの気候に強い稲の品種改良を試み、成功した。この改良した品種の稲を周辺の農場が一体となって栽培した。
これがパリットアッジェールの母体であり、 2年後の1933年、コルホーズ・パリットアッジェールが誕生する。

タシケントの高麗人コミュニティ「ポリトオッジェルПолитОтдел」

タシケント州内、タシケント市境からすぐのYangibozor(新市場)にある Политотделパリットアッジェール (政治部の意) は、 高麗人が多く住む地区である。
現在は Dustlik (友情)と言う地名に変わっている。

高麗人コミュニティの日本人

最近知ったのだが、松本某という日本人がこのポリトオッジェルに高麗人として住んでいた。どのように移住してきたのかはっきりしないが2012年に亡くなったようだ。日本語をしっかり話していたというので相当な年齢になってから朝鮮人に育てられたようだ。

この件はもう少し調べてみる。

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