神聖な場所-モスク・教会等

モスク

 

教会 Churches

モスクは数多くあれど、中東のようには目立たないし、アザーンも聞こえてこないがムスリム国だ。歴史的なイスラム寺院もあるが、数少ないがロシア正教やカトリック教会もある。これは私の行動範囲の中でよく見かけるし、近所にもGerman Gospel Luththeran ChurchやPolish Roman Catholic Churchがあるからだろう。

ロシア正教会 Russian Orthodox Church

1905年に建てられたアレキサンダー・ネフスキー聖堂。ウズベキスタンの一番古い正教会です。

1895年の帝政ロシアによるタシケント攻撃の時に亡くなった24人のロシア兵士たちが葬られてい1888年に創建された礼拝堂がある。

Polish Roman Catholic Church

建設は1912年に始まってソ連時代に停止、88年後の2000年に教会が完成した。パイプオルガンの演奏やコンサートが行われる。

German Gospel Luththeran Church

1899年に創建、ルター派の教会です。私のアパートの直ぐ近く、S. Azimov Streetにあります。

Evangelical-Lutheran church (Kirha). The service began here October 3, 1899. A.L. Benua was the author of the project. The restored building at S. Azimov Street exists until now.

タシケント日本人抑留者墓地

市内南東地区、ヤッカサライ通りに位置する公営墓地の一角が日本人墓地として整備されている。

第二大戦直後、中国東北地方、樺太や北方領土にいた日本兵約65万人(定説)がスターリンの指示により強制的にシベリアに抑留され長年労働を強いられた。厳しい環境の下、約6万人の命が失われた。山崎豊子の不毛地帯を読むとその厳しさがよくわかる。ウズベキスタンでは、そのうち2万3千人の抑留者が強制労働に従事し、817名がウズベキスタンで帰らぬ人となっている。

ヤッカサライ墓地には、タシケントより79名、タシケント地区墓地より8名、計87名の日本人が 眠る。隣接してドイツ人墓地がある。碑には1990年5月23日、もうひとつに碑には1995年10月1日の日付が刻まれている。両方とも福島県という文字が読める。福島県出身者が多かったのだろうか。

ウズベキスタン国内ではタシケントの他にタシケント州アングレン市、フェルガナ州コーカンド市、フェルガナ州フェルガナ市、アンディジャン州アンディジャン市など13ヶ所に日本人墓地がある。タシケント第四ラーゲリーの 約500人の抑留者がウズベク人やロシア人とともに建設に従事し工事が中断していたナボイバレエ・オペラ劇場(タシケント)が1947年に竣工したことはよく知られている。

ナボイ劇場は延べ床面積 15,000 平方メートル,観客席 1,400 で煉瓦(れんが)造りのビザンチン建築である.日本人抑留者は,土木,煉瓦積み,彫刻,鉄工,配線,大工,左官,電気溶接,測量など多岐にわたっていた。

詳しくはこちら。

http://ca.iio.org.uk/uz/uz-tashkent_japanse_cemetery.html

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