ヒヴァ/ウルゲンチについて

 仕事の合間にちょっとという具合にウズベキスタンの見所に迫ってみました。2007年2月初旬から3月下旬、それから2009年2月以降、タシケントに滞在、若しくはベースにしている関係でタシケントが日常の住まいになっている。シルクロードの歴史都市、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、シャハリサブス等があるが、それは概ね観光ツアーにお任せするとして、私の視点ではやはりタシケントという都市に興味が沸きます。そこに暮らす人々と生活のベースとなる都市、それはどんなものか、それから、ソ連時代のモニュメントや建築など、新旧織り交ぜながら探求してみたいと思います。

Tashkent | Samarkand | Bukhara | Khiva | Nukus-Moynaq | Fergana Valley

ヒヴァとウルゲンチ Khiva and Urgench

プチGWを利用してウズベキスタンの古都、ヒヴァ(Khiva)へ行って来た。
1996年1月末にウルゲンチへ出張したとき、Uzbek Tourismの人が気を利かせてヒヴァを案内してくれたのが最初の滞在になる。当時と同じTu154bでウルゲンチへ飛び、そこから、乗り合いミニバスでヒヴァへ行った。
ヒヴァはアムダリア(アム川)の肥沃なデルタ地帯に位置し10-14世紀にはホレズム王国の都として繁栄したシルクロードのイスラムオアシス都市 である。ヒヴァは日干し煉瓦の城壁に2重に囲まれ57mのミナレットを含み20のモスク、20のメドレセ、6のミナレットが内城(Ichon-Qala) に残る。1990年に世界文化遺産に登録されている。

13年前との比較では、建造物の保存や修復、街路の整備等がかなり進んだような印象を受け、城壁内の居住区との境界が明確にされ、メドレセをコン バートしたホテルや新たなホテルがオープンし、土産物屋の数がものすごく増えていた。1996年当時は季節もあるが閑散としていた。

ヒヴァはウズベキスタンのシルクロード観光資源としてブハラ、サマルカンドと連携して観光ルートに組み込まれている。観光客はドイツ、イタリア、フランス、日本からのツアーが多く、「こんにちは」という言葉が通りを歩いているとよく聞かれた。

まだまだ日本人が珍しいのか、地元の観光客から一緒に写真を撮ってとか日本語で何か書いてというリクエストが多かった。同じアジアでも日本からの距離を感じたシルクロード中継地のアジアだった。
写真:頓挫したミナレット、57mのミナレット、ショータイム用民族衣装

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